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優しい雨 [Essay]

歌詞はこちら

人の縁というものは本当に不思議なものだけど、恋愛という感情はさらに不思議だ。

時間も場所もシチュエーションも年齢も関係なく、それは突然訪れる。

だけど「出会ってしまった」「はじまってしまった」と感じるような恋愛はそう多くはないかも知れない。※1

そこには、積極的に肯定できない「何か」がある。

現在や過去に起因する「何か」。

心にはりついた「かさぶた」のような「何か」。

もしくは、ただ、自分を相手に相応しいと評価できないのかも知れない。

だけど、どうしようもなく惹かれてしまうとき、

人は「消極的な肯定」をするのかもしれない。

それはやはり運命としか言いようがないのだろう。

そして、自分のなかに、積極的に肯定できない「何か」を持っていることは、

人を肯定する「力」になるのかもしれない。



同郷の先輩、小泉今日子さんが歌ってヒットしている頃は、この歌に興味が無かった。
小泉さんには大変失礼だけど、どういう歌なのかよく分からなかったのだ。
後に、この曲の作曲者である鈴木祥子さんのファンになり、
「鈴木祥子さんの歌う優しい雨」がとても好きな歌になった。
この詩を書いた小泉今日子という人は、只者ではなかったと、再認識した。



※1 もしかして本当に後悔している?・・・諦めましょう。手遅れです。そういうのを腐れ縁と言います。

たかだかの自分 [Essay]

小学4年だか5年の頃、両親から古いモノラルラジカセをもらった。
ミュージックカセットを持っていなかった私は、まずラジオを聴き始めた。

その日は土曜日、夜更かしをして聞いていたラジオから、
それまでとは全く違う、陽気な声が聞こえてきた。
テンポの良い面白い話しに引き込まれていくと、突然、胸を突くような歌が流れてきた。
これは何だろう。
結局、この日流れた歌は、すべてが衝撃だった。
この面白い人が歌っているんだ・・・そう理解したのは、番組も終了の頃だった。
それが、「さだまさしのセイ!ヤング」の第一回放送だった。

それから、私の少年時代は彼と共にあった。


「たかだかの自分」

彼が折に触れて使う言葉だ。

見栄やプライドがあると、無理をしたり、傷ついたりする。
だけど、本当の自分は無力で小さなもの、汚い所も醜い処も有る。
「自分なんてたかだかこんなものだ」と認めてしまえば、楽になれる。
最低の自分と向き合えば見えてくる物がある。
どんなにがんばったところで、自分以上にはならない。
だけど、どんなに悪くても自分以下にはならない。
私はこう解釈している。


思春期というのは、
「肥大していく自意識と本当の自分の折り合いをどう付けるか」だと思う。

私は、打てば響くタイプではない。
一つの事を習得するのに、他の人より時間がかかる。
いわば「どんくさい」のだ。

どんくさい上に、太っていて※1、成績が良かったわけでもない。
さらには女の子と間違えれれるような、すこしエキゾチックな「外人」系の顔立ちだった私は、
まさに良いところがない少年だった。※2

だけど、プライドは高かった。
他の子供と自分は違うと思っていた。
それは、たまたま、親類に連れられて、いろいろな場所を訪れることが多かったので、
歴史や日本文化について、他の子供より知っていという、
たかだかそれだけの事だったのだが。

でも、そんな小さなプライドでも、自分の嫌ところから目を背けるために、
さらにそれにすがりつく、嫌な子供なっていたかもしれない。

人間というのは、本当に簡単な事で他人を見下すものだ。


「たかだかの自分」

そう聞いたとき、超然とする自分を感じた。
客観視という意味だ。
自分に対して超然としてしまえば、これほど楽な事はない。

外見を気にする事もなくなった。※3
自分を客観的に見てみれば、自分を飾る姿は恥ずかしい。

他人に対して、自分を認めて欲しいと思う自分の姿は恥ずかしい。

いまでも、私には、あまり強い自己顕示欲は無いと思う。

私は、自分が、どんくさい事を知っていたので、
自分に過度な期待はしなかった。

自分がどれほど得意な事でも上には上がいる。
だけど、自分が決めた事だけは、誰にも負けないくらいになる。
自分が好きな事、努力できる事、それだけに全力を傾けることにした。


「たかだかの自分」

私にも、自分を支えるささやかなプライドは幾つかある。

だが、今でも、
自分が嫌になりそうな時、
逆に、
自分が思い上がりそうなとき、
この言葉を思いだす。

ともすれば自己嫌悪に陥りそうな、
「本当は認めなくない自分」を認める事は意外にエネルギーが必要だ。
しかし、自分の汚さや醜さを認めない限り、他人を認めることはできないと思う。


※1 少年の頃の私のために弁解すると、中学で痩せて、大学でまた痩せた。
※2 はっきり言うといじめられてたのかもしれない。
※3 ・・・あまりに外見を気にしなさすぎて、今の醜悪な腹になってしまった。少しは気にした方がよさそうだ。




Isn't he lovely [Essay]


Isn't she lovely

Isn't she wonderfull

Isn't she precious

Stevie Wonder / Isn't she lovely



今日は息子の誕生日

プレゼントはとっくに請求されたので、もう彼に届いている。

彼のために、本当にいろいいろな人が力を尽くしてくれる。

今年、中学生になった彼のために、一番近くの中学校に情緒学級が出来た。

ありがたくて、涙がでる。

彼の住む街は、日本でも有数の暑い街。

電気の足りない今年は辛いだろう。



いつも思い出す事がある。

それは君の妹が生まれたときの事。

病院にお見舞いに行った君は。

お母さんの話を頷きながら聞いてた。

帰るとなったとき、私はきっと、君は泣くと思っていた。

でも君は、手を振り見送るお母さんの前で、

エレベーターの扉が閉まるまで、表情を変えなかった。

毅然としていて、とてもかっこよかったよ。

そして、その日眠る前まで、君は泣かなかった。

とうとう君はがまんできなくなって、「おかあさん」と言いながら、

涙を流しながら眠ったけれど、

君は立派な男の子だった。



体に気をつけて。

それから少し痩せた方がいいよ。

私はいつも君の事を思っている。

誕生日おめでとう。

父より


心のEvergreen [Essay]

私のハンドルの由来は、シングライクトーキングの心のEvergreenという歌です。

歌詞はこちら

15年くらい前、測量士として働きだして数年の頃、
修行のつもりで入社した測量会社になじめず、
父の経営していた会社の後を継ぐかどうか悩み、
運悪く手痛い失恋が重なり(^^;
日々の仕事と将来に対する不安と失恋の痛手に押しつぶされそうになっていた頃、
この歌に救われました。

徒弟制度のような体質のある職場にどうしてもなじめなかった。
今では、測量という仕事や業界が好きになれなかったのだと分かります。

高校大学と弓道をやっていた私は、
負ける事が嫌いで、逃げる事が嫌い、弱音を吐くのは情けないという考えが染み付いていました。
だから負けたくなかった、逃げなくなかった、弱音を吐きたくなかった。
だから苦しかった。

我慢する事には慣れていましたが、それはやはり弓が好きだったから出来た事なのです。

そんな私を、当時の彼女は物足りなく思ったのでしょう。
彼女は一部上場企業の一般職で、周囲も自身も結婚を意識する頃でした。
後から思えば、仕方がない事だと思います。

しかし、この歌を聴いたとき、肩の力が抜けました。
そうだ、意地をはる必要はない、焦る必要はない、会社に合わせる必要はない。

それは、恋愛でも同じ事で、
当時の恋人にかなり依存していた私は、
この歌に救われなかれば、かなりダサイ事をしてしまったかも知れない。

大事な事は
卑屈にならないこと。
誠実であること。
ずるいことはしないこと。

背筋を伸ばして、前を見て、意に沿わない事に染まりはしない。
自分は自分以外にはなれない。

ポジティブとは少し違います。
究極のネガティブと言いましょうか。
絶対的な孤独と言いましょうか。

今から思えばかなり不遜で唯我独尊でした。




その後、少し仕事を覚えた頃、
会社が新規事業として始めた空間情報システムに配置転換になりました。

従業員の間では、
収益を上げられない新規事業、
しかも、測量と関わりがあるとはいえ、
畑違いに近い情報システム事業を始めることには否定的で、
また「現場に出ない」仕事は白眼視されるものでした。

でも、誰が何と言おうと、もう私には迷いはありませんでした。
私には、測量の仕事・・・というより、業界に未来を見出せなかったのです。
このチャンスを逃してはならない。
私は独学で、PC・GIS・プログラムを学びました。

結局この事業は軌道にのりませんでした。
父の会社の破綻を期に、
私は、情報システムの世界で生きていく為に、この会社を離れました。
運がいいことに、この仕事は私に合っていたようでした。

給料を貰いながら勉強できたのですから、今では、この会社にとても感謝しています。
しかし、この会社は既に存在しません。




社会に出て、いろいろな事を見てきた今、
自分自身も生きるために汚れてきた今では、
社会や大人たちが汚れている、
それでも、信念のとおりに生きるというこの歌は、
とても眩しく感じます。

私の仕事でも、正しい事が通用する事は稀で、
よく言えば営業力、悪く言えばペテンに近い事が行われます。
力関係や人間関係、経営的判断が優先されます。

だけど、正しい事は必ずある。
(システム的に正しい事と顧客にとって正しい事は必ずしもイコールではありませんが)
訳知り顔で認めることは簡単だけど、それでは何も変わらない。
少しだけでも、正しい事を通す事ができないだろうか。
常に自問するようにしています。

町田~ノスタルジア [Essay]

彼女の車が車検を迎えるので、町田の車屋さんに持っていった。

帰りは電車なので最寄り駅は南町田。
長津田で横浜線に乗り換えて中山で地下鉄に乗り換える。
だがせっかくここまで来たからということで、長津田から逆方向の町田に向かった。

もう7・8年前になるだろうか、一時期JR町田の駅前に住んでいた事がある。

厚木出身の私は、幼いころ、なにかというと町田まで買い物に来た記憶がある。
そのころの厚木にはろくにスーパーも無かったが、町田には大丸があったからだ。
その頃、厚木に冷房があったのは銀行くらいだったと思う。
夏になると銀行か町田の大丸か小田急に涼みに行った、わずか三十五・六年前の事だ。

厚木からみると、横浜より町田や新宿の方が身近な存在だった。
三つ子の魂というが、私にとっての町田は、一番近い都会だった。

まさかその町田に住むことになるとは思わなかった。
町田の印象は、正直言ってガラが良いとはいえない。
(駅裏のラブホテル街の入り口に住んでいたこともあるが)
がだ、裏表のない正直な街なのだと思う。

町田に住んでいた頃、買い物で訪れた港北ニュータウンを見て、
こんな整然とした街に住んでみたいものだと思った。
まさかその後港北ニュータウンに住むことになるとは思わなかったが、
住んでみて思うのは、整然としているのは町並みだけだということだ。
一見高級な街に思えるが、たとえば、売っている商品に良い物は少ない。
(値段の事ではありません)

JR町田駅近くのビルに当時よく行ったインドカレーの店がある。
若者向けの衣料品店が多いビルに少々似つかわしくない雰囲気のせいか、
当時はお昼時でも空いていた。
久しぶりに行ってみると、インド人の店員さんが迎えてくれるところも変わっていない。
大きなまま提供されていたナンが半分に切られて、食べやすくなっていいたりと、
多少の変化はあるが、味は当時と変わらない。
ここのカレーは、キーマやチキンは問題ないが、
マトンや野菜は、十分にマトンや野菜なので注意が必要だ。
お行儀の良いラムや、青臭さを失った野菜を食べ慣れていると面食らうだろう。

もう一つ、懐かしい再会があった。
トミーフィルフィガーだ。
当時、トミーフィルフィガーが好きだった私は、町田に店があったことを幸いに、良く通い、散財もした。
今の街にもトミーはあるのだが、
いつの間にかポップになったデザインに違和感があり、足が遠のいてしまった。
久しぶりにのぞいてみた町田のトミーは、ポップ感が影を潜め、トラッドさと派手さのバランスが昔のようだった。
店員さんと話が弾んだこともあり、本当に久しぶりに洋服を買った。

「これは腹が目立たないね」
「これはもっと目立ちませんよ」
「そ、そうですか・・・」

「もうトミーが着られる年ではないとも思うのだけど」
「お客様ぐらいのお年の方にこそ着ていただきたいです」
「そ、そうですか・・・」

・・・今思うと所々ずいぶん失礼な人だったかも知れない。


これまでも幾つかの街で暮らしてきたが、
町田は住んでいる頃よりも、後になって良かったなと思う面白い街だ。

東北への思い [Essay]

もう30年以上前のことだ、
土木会社をしていた父は、東北から、若い社員を招いていた。
当時、関東地方では、もう零細企業に入っていくれる若者はいなかった。
主に職業訓練学校だったが、会社訪問や面接に東北に出掛ける叔父について、
幼い私は東北地方を周った。

冬になると、秋田から出稼ぎの人たちがやってきた。
彼らは、顔を合わせれば、まず穏やかに微笑む。

飯場のような自宅で、毎日一緒に朝食と夕食を食べた。
方言が飛び交っていた。

私は彼らが、日本を、少なくとも私が住んでいた街を、作ってきたのを見ている。

夏になると、私たちが彼らの家を訪ねる。
当時、男鹿半島の小さな町では、まだ丸木舟が使われていてた。
おいしい米、広い耕地、大きな家、
プレハブの飯場のような家に住んでいた私たちより、ずっと豊かに思えた。

温泉ブームの遥か前に、秘湯を訪れている。
青荷・黒湯・薬研・・・まだ、湯治場だった頃だ。

成長して、仙台に旅行に行った時のことだ、
あまり車通りの無い道路の脇で、目的地を探してキョロキョロとしていた私の前に、車が止まった。
道を渡りたいと思ったようだ。
面食らった私は慌てて会釈をして、渡るつもりの無い道路を横断した。
滞在中、信号のない歩道を横断しようとしていると、ほぼ必ず車が止まってくれた。
そしてみんな車の中で微笑んでいた。

幹線道路の交差点に右折の車が取り残されて、直進車が通行できなくなっている場面を何度か目撃した。
だが、一度もクラクションを鳴らす車を見なかった。

車で仙台に行った時のことだ。
慣れない街を運転していても、周りの車は県外ナンバーにとても気を使ってくれる、
全くストレスがない事に驚いた。

10年くらい前、宮城のユーザーを訪れる事が多かった。
名取・東松島・気仙沼・・・
ユーザーの多くはガス屋さんでありガソリンスタンドだった。
トラブルのリカバリーに訪れた私に、
「こんな田舎までよくきてくれました」と微笑んで迎えてくれた。
今、どうなっているだろうか。

東北の人たち・・・そう言ったらおかしいかもしれない、
もちろん一つにまとめることなど出来ないと分かっている、
それでも、私にとって「東北の人たち」は、「日本人の微笑み」と我慢強く暖かく優しい印象しかない。


犬走の人々 [Essay]

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下田は地元の人の努力で、釣り場も海も、本当に綺麗に保たれています。
犬走堤防は、地元の人がゴミ箱を設置して、ごみの回収や、清掃を行っていて、本当に感謝に絶えません。

愛すべき犬走に集う方々を少し紹介しましょう。

<地元のおじいちゃん>
初めて犬走にいくと、
堤防のタモトに集まっている地元のおじいちゃんたちに、たじろぐかも知れません(^^;
・・・実際、この人達は、おせっかいアドバイスが大好きなんですよ(^^;
ちょと挨拶でもしようものなら・・・なかなか開放していただけません(^^;
でも、下田の人たちの努力を思うと、地元の人にからまれてもアドバイスをいただいても、自然と笑顔になります。
私は、ちょと、場所をお借りしているだけですので。
彼女なんて、如才ないので、そのうち、おじいちゃんのアイドルになるのではないかと・・・

<観光客>
犬走島は観光ルートに入っているらしく、観光客の方も沢山やってきます。
外国人の方も多いです。
釣り人としては、間違っても観光客を無下にしてはいけません。
なぜなら、下田は観光で成り立っている街だからです。
釣り人よりも観光客の方が大事なはずです。
ここは、釣り場を守るために、地元に協力して、
邪魔だと思っても、愛想よくしてあげましょう。
ときどき、18cmくらいのキスをみて、
「こんな小さい魚をとるの?」とか「ワカサギか?」みたいな事を言われたりしますが、
海のない所の方もきますから、心を広く持ちましょう。
それから、釣り人もできるだけ地元でお金を使いましょうね。

<マダイ狙いの両軸カゴ師>
犬走ヒエラルキーで最上位にいると私が思っているのは、マダイ狙いの両軸カゴ師です。
たぶん、マダイ狙いだとタナが深すぎて、他の魚はほとんど釣れないのでしょう、
何も釣れなくても、雑魚など要らぬとばかり、
大遠投をしては、淡々と打ち返す姿は、武士の風格が有ります。
中には、クーラーに座って投げるツワモノも居ます。
ウキは当然発泡ウキで自作でしょう、カゴは遠投カゴですね。
ただ。マダイ狙いには、雁島の方が良いようです。

<地元のカゴ師>
両軸カゴ師が武士だとすればこちらは野武士。
カゴまでの仕掛けが付いたままの竿を持って、
自転車でやってきます。
プラスチックのウキがガチャガチャと音を立てますが、気にしません。
カゴはロケットカゴですね。
自分の届く距離で、イワシでもなんでも、釣れるものを釣ります。

<投げ釣師>
犬走に投げ釣の人はあまり来ません。
並継竿とクーラーだけ持った、キス釣り専門の方が、
「ちょとよってみた」という風情で来たとしても、すぐ帰って行きます。
彼等には、キスが連で掛からないようなところはダメみたいですね(^^;
一方、置き竿系の投げ釣の人は全く見ません。
ちょい投げしている人は、ほぼ根掛かりしています(^^;
キスは雁島か和歌の浦の方がいいようですね。
もっとも、この周辺には百選に入る砂浜がいくつもありますから、
わざわざ堤防に来る必要はないかも知れません。

<地元のサビキスト>
主におかずを釣りにくる人たちです。
おばちゃんも多いです。
主なターゲットはイワシ。
サバの子供が釣れると、その場で干しています。
ただ、最近は、河口の駐車場前の方が人気があります。
イワシを釣ると、
「なんだそりゃー、クジラの子供か?」というのが決まり文句のおじさんが寄って来ます。

<トンネルの向こう側で釣っている人たち>
私には謎の人たちです。
犬走島にはそれほど場所は無いはずなのに、夕方になると次から次に帰ってきます。
実はトンネルの向こうは四次元空間に繋がっているのでないのか!?
Xファイルに登録してもらいたいです。
帰るときは、「今日はダメ、ソーダしかイネーヨ」が口癖です。
ということはイナダ狙いなのか!?

<ルアーマン>
犬走でルアーマンはあまり見ません。
ジギングは福浦の方が有名ですね。
ただ、先日150m先のナブラに8fくらいのロッドで小さいジグを一生懸命投げているルアーマンがいました。

<エギンガー>
最近増えてきたのは、エギンガーですね。
彼らは、さっと来て、さっと去る、一陣の風のようです。
ただ、犬走でイカが釣れたところは見た事がありません。
また、最近は、投げ釣りでエギがよく釣れます(^^;

<エギンガーの彼女>
不思議なのは、エギンガーの「彼女」。
彼女たちは、およそ釣り場にふさわしくない、デート服(当然スカート)でやってきて、
彼氏を後ろを淡々とついて歩き、ボーと海をみていたりします。
夕方だと寒そうで同情します。
彼氏にネグレクトされていそうで心配です。
もしくはツンデレに萌えるタイプか・・・
しかも、彼氏はほぼ間違いなく釣れません(^^;
おかげで私には、カップルでのルアーやエギは釣れないという刷り込みができてしまいました。
女性だと親近感があるのか、サビキをしている私の彼女を少し離れた場所から見ていて、
釣れると、「あっ」とか声を出したりします。
やってみる?(^^;

<わたしの彼女>
車に乗ると、気絶したように一瞬で寝ます。
珍しい魚を釣るのが得意です。
私より大きな魚、多くの魚を釣るのが得意です。

<わたし>
人が多い場所が苦手で、釣でも都会になじめず、下田まで逃避してきます。
置き竿しては根掛かりしたり、ガイドカラミで錘だけ飛ばしたり、
実は環境破壊をしているのではないかと心配になります。
このままだとRoHS対応できません、目指せ「鉛フリー」!

ああ、下田に住みたい!
と本気で思う今日この頃です。
・・・下田にシステムエンジニアかプログラマーの仕事はないか(@_@)