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東北への思い [Essay]

もう30年以上前のことだ、
土木会社をしていた父は、東北から、若い社員を招いていた。
当時、関東地方では、もう零細企業に入っていくれる若者はいなかった。
主に職業訓練学校だったが、会社訪問や面接に東北に出掛ける叔父について、
幼い私は東北地方を周った。

冬になると、秋田から出稼ぎの人たちがやってきた。
彼らは、顔を合わせれば、まず穏やかに微笑む。

飯場のような自宅で、毎日一緒に朝食と夕食を食べた。
方言が飛び交っていた。

私は彼らが、日本を、少なくとも私が住んでいた街を、作ってきたのを見ている。

夏になると、私たちが彼らの家を訪ねる。
当時、男鹿半島の小さな町では、まだ丸木舟が使われていてた。
おいしい米、広い耕地、大きな家、
プレハブの飯場のような家に住んでいた私たちより、ずっと豊かに思えた。

温泉ブームの遥か前に、秘湯を訪れている。
青荷・黒湯・薬研・・・まだ、湯治場だった頃だ。

成長して、仙台に旅行に行った時のことだ、
あまり車通りの無い道路の脇で、目的地を探してキョロキョロとしていた私の前に、車が止まった。
道を渡りたいと思ったようだ。
面食らった私は慌てて会釈をして、渡るつもりの無い道路を横断した。
滞在中、信号のない歩道を横断しようとしていると、ほぼ必ず車が止まってくれた。
そしてみんな車の中で微笑んでいた。

幹線道路の交差点に右折の車が取り残されて、直進車が通行できなくなっている場面を何度か目撃した。
だが、一度もクラクションを鳴らす車を見なかった。

車で仙台に行った時のことだ。
慣れない街を運転していても、周りの車は県外ナンバーにとても気を使ってくれる、
全くストレスがない事に驚いた。

10年くらい前、宮城のユーザーを訪れる事が多かった。
名取・東松島・気仙沼・・・
ユーザーの多くはガス屋さんでありガソリンスタンドだった。
トラブルのリカバリーに訪れた私に、
「こんな田舎までよくきてくれました」と微笑んで迎えてくれた。
今、どうなっているだろうか。

東北の人たち・・・そう言ったらおかしいかもしれない、
もちろん一つにまとめることなど出来ないと分かっている、
それでも、私にとって「東北の人たち」は、「日本人の微笑み」と我慢強く暖かく優しい印象しかない。


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おつみーこ

こんな時だからかも知れないけれど・・
読んでいて涙が出てきた(TT)

自分もこちらに嫁いで来た時は不安もあったけれど、
周りの人たちは(そうでない人もいるけど)とても温厚な人が多い。
話す言葉もゆったりしているからかもしれないけれど。。

田舎独特の昔からの風習などもあり、
正直めんどうだなと思うことが多いけれど、
きっと、みんなで助け合って暮らしていこうという
気持ちがあるのだと思う。。
そんな事がevergreenさんの体験に繋がっているのかも
しれません。。



by おつみーこ (2011-03-19 08:38) 

evergreen

おつみーこさんも東北だったんだね。
「ありんこぶた」さんのつぶやきで知りました。
無事でなによりでした。
八戸に大学の後輩がいるのだけ無事だった。

住んでいるひと、そこに生まれたひと、後から移った人、
良い事や奇麗事ばかりではないと思うけど、
厳しい環境で生きていく知恵があると思うんだ。

by evergreen (2011-03-20 23:24) 

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