カリン [ネコ]
浪江町で保護された猫 [ネコ]
昨日から我が家の一員となった「もち吉」
福島県浪江町の避難指示解除準備区域で保護されました。
大福と取っ組み合いをして遊び、僕の腹の上で昼寝。
どうやら安心できる場所だと思ってくれたようです。
今仕事が忙しくて、うまく文章にまとめられないので、
感じていることを書いておきます。
大福はゴミ収集所でゴミをあさっているところを妻の後輩に保護されました。
モチ吉は、浪江町の夜になると立ち入りが禁止される放射能残留値の低い街中で保護されたネコです。
モチ吉と対面するために、福島の被災地域のの犬や猫の保護活動をしているNPOの東京シェルターを訪れました。
一歩足を踏み入れると、刺すようないくつもの視線を感じました。
ネコたちでした。
避難している人から預かっているネコ。
彼らのあきらめたような目を僕は忘れる事ができないでしょう。
どこか遠慮がちなのは、里子に出るためのトレーニングをしているネコたち。
モチ吉もその一人でした。
久しぶりにケージからだされ、僕たちの存在など目に入らず飛び回るモチ吉。
それをただ眺める他のネコたち。
そのなかで、茶虎のオスネコだけがモチ吉の遊び相手をしています。
新入りが来ると、心配して傍に付き添うという彼、
そんな姿を見て里子に欲しいと言った人が何人もいたらしいのです。
もう一緒には住めないとあきらめてしまう飼い主が多いのに、
彼の飼い主は彼を手放したがらないそうです。
先日、何回目か依頼を伝えると、「いつまでも預かっていただいては迷惑でしょうからおまかせします」と、
やっぱり手放したくないんだと里子には出せなかったそうです。
このシェルターを運営している方は、毎週福島に給餌に出かけています。
立ち入り禁止区域の家畜や猫の悲惨な状況
避難地域に通いエサを与え、保護したネコの健康診断や避妊手術をしている浪江町の獣医さん
摘出された臓器は弘前大学で低線量被ばくの研究に使われています。
立ち入り禁止区域のネコは病気になると弱い、それが被ばくの影響か生活環境かはわからないけれど・・・立ち入り禁止になったとき被災地はまだ冬でした、それがそれほど過酷だったでしょうか。
モチ吉が来て、一夜明けて、
僕にすり寄って、離れないモチ吉
シェルターではこんなに人懐こいとは思いませんでした
ほかのネコたちに気を使っていたのかな
もうどこにも行きたくないと思っているのかな
彼がここで安心して生活できるようになってくれればいいと、
こころから願っています。
NPO 未来といのち
ネコの保護施設 smail cat
ネコ 和歌の浦のブチ娘 [ネコ]
子ネコ 伊東白灯堤防 [ネコ]
犬走りのお母さん [ネコ]
犬走で一番の古馴染みだったクロブチ母さんを見かけなくなって二ヶ月。
「具合が悪くなると山に隠れるから」
そんな地元の人の言葉に期待していましたが、
多分もう死んでしまったのだと思います。
顔なじみになってからは、訪れる度に挨拶に来てくれて、
今から思うと、僕達は、それで犬走に迎え入れれたという気持ちになったのだと思います。
お母さんがいなくなって、どうしても、何か足りないと思う自分が居ます。
穏やかで、子育てが上手くて、
自分の子供ではなくても、邪険にする事がない、犬走のお母さんでした。
2010/5/22
手元ですぐに確認できる一番古い写真です。
同時に、最も古い犬走のネコの写真でした。
犬走に通い始めてまもなくの頃です。
犬走島の右側の磯辺りです。
当時のお母さんは、まだ若くて、おてんば娘だったのですね。
2011/2/19
犬走通いが一年を過ぎ、お母さんから近くに寄ってくるようになりました。
訪れる度に挨拶に来てくれるようになって、
体に擦り寄っては来るけれど、べたべたするわけでもなく、
エサを貰いたくて、鳴き続ける事もなく、
礼儀正しいというのは変な表現ですが、それ以外表現の仕方がない、
礼儀正しいネコでした。
2011/3/5
お母さんと子供のホボクロとグレー
お母さんに似て、穏やかで人懐こいネコでした。
ホボクロは事故で亡くなり、グレーはあるときから姿が見えなくなりました。
当時は三匹で、堤防で釣りをしている所まで遊びに来てくれました。
2011/10/8
口の両脇がふっくらしているのがよく分かります。
尻尾が短いのです。
2012/1/2
右耳が曲がっているのが分かります。
2012/1/14
右のクロブチと奥のシロはお母さんの子供ですが、
サビ柄は、お母さんの子供ではありません。
眠るときも、エサを食べるときも、自分の子供でなくても、穏やかに接していました。
2012/2/24
お母さんを真ん中にして、二匹の子供。
二年続けて、二匹を自立できるくらいまで育てました。
2012/2/24
この頃、目やにが出て、くしゃみをしていて、体調が悪そうなので、心配していました。
2012/3/24
このときは、毛つやも良くなって、目やにもなくなり、
元気になったと安心していました。
2012/3/24
だから、まさかこの日が最後になるとは思っていませんでした。
これが最後の写真になりました。
お母さん、ありがとうね。
「具合が悪くなると山に隠れるから」
そんな地元の人の言葉に期待していましたが、
多分もう死んでしまったのだと思います。
顔なじみになってからは、訪れる度に挨拶に来てくれて、
今から思うと、僕達は、それで犬走に迎え入れれたという気持ちになったのだと思います。
お母さんがいなくなって、どうしても、何か足りないと思う自分が居ます。
穏やかで、子育てが上手くて、
自分の子供ではなくても、邪険にする事がない、犬走のお母さんでした。
2010/5/22
手元ですぐに確認できる一番古い写真です。
同時に、最も古い犬走のネコの写真でした。
犬走に通い始めてまもなくの頃です。
犬走島の右側の磯辺りです。
当時のお母さんは、まだ若くて、おてんば娘だったのですね。
2011/2/19
犬走通いが一年を過ぎ、お母さんから近くに寄ってくるようになりました。
訪れる度に挨拶に来てくれるようになって、
体に擦り寄っては来るけれど、べたべたするわけでもなく、
エサを貰いたくて、鳴き続ける事もなく、
礼儀正しいというのは変な表現ですが、それ以外表現の仕方がない、
礼儀正しいネコでした。
2011/3/5
お母さんと子供のホボクロとグレー
お母さんに似て、穏やかで人懐こいネコでした。
ホボクロは事故で亡くなり、グレーはあるときから姿が見えなくなりました。
当時は三匹で、堤防で釣りをしている所まで遊びに来てくれました。
2011/10/8
口の両脇がふっくらしているのがよく分かります。
尻尾が短いのです。
2012/1/2
右耳が曲がっているのが分かります。
2012/1/14
右のクロブチと奥のシロはお母さんの子供ですが、
サビ柄は、お母さんの子供ではありません。
眠るときも、エサを食べるときも、自分の子供でなくても、穏やかに接していました。
2012/2/24
お母さんを真ん中にして、二匹の子供。
二年続けて、二匹を自立できるくらいまで育てました。
2012/2/24
この頃、目やにが出て、くしゃみをしていて、体調が悪そうなので、心配していました。
2012/3/24
このときは、毛つやも良くなって、目やにもなくなり、
元気になったと安心していました。
2012/3/24
だから、まさかこの日が最後になるとは思っていませんでした。
これが最後の写真になりました。
お母さん、ありがとうね。