認知症が進行して、ほぼ寝たきりだった祖母が、
ショートステイ先で呼吸停止になり、救急搬送され入院しました。

施設から連絡を受けた母は、叔母と連絡を取り合い、
人工呼吸器などの延命処置は辞退する旨を決めたらしいのですが、
病院に駆けつけたときには、人工呼吸器が乗っていたそうです。

祖母の運ばれた病院では、呼吸停止で救急搬送された場合は、
挿管と人工呼吸器が決められていたそうです。
僕が知る病院では、親族の承諾が無ければ人工呼吸器を繋ぐ事ができず、
それまでポンプで呼吸を維持するそうなので、病院によって違うのですね。

延命治療。
そうは言っても、一概には考えられません。

妹が医療関係に従事している事もあり、
僕の家族では、医療が話題になる事が多く、
家族では、過度な延命はしない事がコンセンサスになっています。
祖母の場合は、年齢そして認知症である事や寝たきりである事などから、
「これ以上は・・・」という気持ちがあります。
しかし、これが、
わが子や甥・姪であったら、少しの可能性・奇跡にすがってみたくなるかも知れない。




人間には、現実に直面してみなければ分からない事があります。

息子の障害が分かる前の僕は、
「一人で生きていけない程の障害を持っているなら、生まれてくるのは可愛そうだ、育てるのは可愛そうだ。」
と思っていました。
もちろん、障害者を差別するつもりはなく、
友人や知人に難病や障害者が居たので、
障害者は手厚く支援されるべきだと思っていましたし、
あくまで自分の事として考えた場合の事です。

元の妻も同じような考えで、
息子の障害がまだ分からない頃、娘を妊娠した折、
彼女の希望で、スリーマーカー(トリプルマーカー)テストを受けました。
検査には僕も同行しました。
検査の結果に問題があればどうするか、それは書かなくても分かっていただけるでしょう。
結果に問題はなく、娘は誕生しました。

息子の障害が、本人にとってどうか、僕には分かりません。
でも僕は、彼に出会えて、ともて幸せです。

息子の障害が分かった後、僕たちは自分の行為に恐怖を感じました。
娘に対して、とても申し訳ない気持ちでした。
これは、今でも、僕の深い深い傷です。


もちろん、以前の私のような考えや、羊水検査を否定するつもりはありません。
このようなことは、延命と同じように、自分の考えを他人に押し付けるものではないからです。

ただ、当時の僕は、障害について、偏見がないつもりでいました。
現実を何も知らないのに。

人間は、実は何も知らないのに、分かった気になっている事があるのです。




病院で祖母を見たとき、
母が決断をする事がなくて、良かったのかも知れないと思いました。
人工呼吸器を付けないという選択をしたとき、
母が何を背負うのか、僕には分かりません。

自分が母の立場になったとき、僕が何を背負うのか、僕には分かりません。


祖母の呼吸停止は、何かを誤飲した事が原因のようです。
施設の方は非常に恐縮していたそうです。
もちろん、不注意での誤飲はあってはならない事です。
しかし、施設のおかげで、母の負担が非常に軽減されていた事は事実です。
僕たちに、施設を責める気持ちは全くありませんでした。
原因や詳しい説明をしていただくつもりもありません。

僕は、医療や介護の現場が、
ぎりぎりの人員で、
それも多くは求められる能力に達していないので、
一部の人間の個人的努力で、かろうじて支えられている事を知っています。
僕たちは、現場の責任を問うよりも先に、
介護や医療のレベルを維持できる、
能力を持ったマンパワーを確保できる資金とシステムを国に求めていくべきだと思っています。


祖母は、本当に奇跡のように、少しだけ自発呼吸を始めました。
ただ、低酸素状態が長く続いたので、意識を取り戻す事はないと思います。

先の事は誰にも分からない。
何が正しいのか誰にも分からない。

ただ、確かな事は、
数回の脳梗塞で体が不自由になった祖父と、認知症の祖母、
二人の介護をしていた母が、
祖母が入院している間は、祖母の介護をしなくて良いという、ささやかな事実です。




※祖母は一ヶ月の入院の後、6月末に、永眠いたしました。