SSブログ

やりがいを見つける力 [Essay]

先日、大学の弓道部の先輩と飲む機会がありました。
先輩は今、高等養護学校の教員で、学年主任をしています。

先輩の学校の子供たちは、
知的障害ではあってもボーダーと呼ばれるグループに属する子供たち。
教員の一番の仕事は、彼らの就職先を見つける事だと言っていました。

先輩は、事があるごとに、友人・知人に仕事の内容を聞き、子供たちに伝えているそうです。
どんな仕事なのか、どんな苦労があるのか、どんなやりがいがあるのか。


先輩はこれから就職活動をする教え子達に、必ず言う事があるそうです。
「好きな事探しは止めよう」

この言葉は、もちろん、障害者の置かれている現状を表しています。
障害を持っている子供たちは、
自分の好きな仕事、やりたい仕事に就くことができる可能性は、
とても低いことは、想像していただけると思います。


一方、親は、少しでも条件(はっきり言えば給料)が良い所を望むのだそうです。
これも、少し想像していただければ、理解できる事でしょう、
親は順当にいけば、子供より早く死にます。
残される子供が自立して生活していけるだけの賃金を得られる職場を望むのです。


でも先輩の言葉は、多くの障害を持つ親を救う事でしょう。

「もちろんそれは理解できる、そして保護者がそう考える事は間違っていない」

「彼ら(障害者)の将来を考えるとき、第三者の目は必要だ、
だが、親が第三者の目をもっては、子供を守ることができない。
無条件で味方になることも大切だ」


先輩は、自分も、そして他の担任の教師に対しても、
その親の気持ちを理解した上で、
それでも、障害に対する理解のある職場を勧めると言います。

「たとえ給料が安かったり、自分が望んでいない仕事でも、
障害に対する理解がある職場で働いた方が、
長い目で見れば働く喜びを感じられるのではないか。」


社会に属していること、
働いて社会の役に立っていると自覚する事、
それは人間が生きていく上で重要な事だと思います。



これは障害者だけの話ではないと思ったのは、
参加した仲間達の、仕事に対する考えでした。

「好きな仕事をする事が大事だ」と思うもの。

「やりたかった仕事が上手くいかず、
興味が無かった仕事を始めてみたら、今は楽しい」と言う者。

「何が好きか考える事もなく、親の後を継いだ」者。

だけど、共通する事は、今の仕事に「やりがい」を感じている。


自分の仕事のやりがいを挙げてみれば、
やはりPCシステムとはいえ、物を作るという事、出来上がった喜びがあります。
しかし最大のモチベーションは、自分が作ったシステムにユーザーの反応があるという事でした。
私がこの業界に入ってすぐの仕事は、小売店のエンドユーザーに接する仕事だったので、
無理難題やクレームなど苦労もありましたが、
「ありがとう」と言われる事が何より嬉しくて、自分でも驚きました。

元々私は、測量士だったのですが、PCやプログラムへの興味から、この業界に転職しました。
でも、「ものを作ること」やがては、「人と触れ合うこと」がやりがいに変わって行ったのです。

それは取りも直さず、自分が社会や人の役に立っているという喜びでした。

今の仕事は、エンドユーザーの反応もなく、
場当たり的で、意味が無い工数が多く、
ユーザーに対しても、開発方法論とても、とても正しいとは思えません。
ただ、そんな中でも、仕事を続けているのは、
コードを書いているときの、集中した状態が気持ちいいからです。
また、珠に新しいチャレンジがある事、もしくはチャレンジをする事をモチベーションにしています。

好きな仕事だと言えばそうなのかも知れません。
ただ業界に対する絶望は大きく、とても自分では、好きな仕事だとは言えません。
また、この仕事を始めた頃の、コンピューター全般に対する興味は、あまり無くなってきていて、
報酬を得る事が目的になっています。
でも、それだけでは、自分の気持ちを維持できない気がして、
逆に言えば、逃避的に、コードの中に没頭したり、技術に没頭したりしているのでしょう。

けして前向きではありませんが、
生活をしていく為に、労働の対価を得る為に、今の自分を律する方法なのだと思っています。

好きな事
出来る事
やりたい事

仕事はそんな事のせめぎあいでしょうか。

仕事を仕事として割り切ってしまえば、成長できなのかもしれない。
自分の情熱を掛けられるものでなければ、プロにはなれないのかもしれません。
でも、自分の好きな事だけやっていられる訳でもない。
プロならば、どんな仕事でも、一定以上のレベルでこなす事が求められます。

人間というのは、意外と自分の事がよく分かっていないものです。

とりあえずやってみれば、何かが見えてくるのかも知れませんね。
人と接する事が苦手だった私が、エンドユーザーと接する事が喜びになったように。


そして、仕事をする以上は、プロである事を意識していれば、
結果として、嫌いだったり合わなかったりした事をしていても、無駄にはならないのだろうと思います。

仕事に必要なこと、それは、今の仕事にやりがいを見つける力だと、そんな事を感じます。


*
以下は余談です。

私の息子は中学で情緒学級に通っています。
先生のみならず、多くの人が息子のために尽力していただいています。

障害者自立支援法が出来るまで、日本の障害者には、社会に出ても、
十分とは言えませんが、それでも支援の手がありました。
(自立支援法の下での問題はご存知の事と思います。)

おざなりにされてきたのは、一般のセーフティネット。
なおざりにされてきたのは、ボーダーの人たち。

たとえば、知的障害のボーダーに属する子供たちは、
親が障害を認めなければ、何の支援の手も向けれられません。
もし社会に出てから、職場に適合できなければ、
日本には、彼らに対しての支援は無いに等しい。

「なるべく早く、親が認めることだよ」
先輩はしみじみと言っていたが、実はそれが一番難しい事なのです。


nice!(14)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 14

コメント 2

Huck_Finn

難しい問題ですね。
どこで線引きをするか?
でも、どこかで線引きはしなければいけない。
人間は、1か0ではなく、グラデーションなんですよね。
その子その子に、個性があるし、能力がある。

今の経済は、実力主義に拍車がかかってますよ。うたがいようもないことです。
能力のあるやつがのし上がれる。だから努力する。結果出したやつが評価される。
私自身、部下を採用する時や、評価の時は、結果出してなんぼです。企業なら当たり前ですよね。

でも、国、産業界がシステム作りをすればできると思います。
企業が利益を追求する部分と、社会に貢献する部分。
社会に貢献できれば、その分優遇すればいい。
消費者は、その視点で買うか買わないかを決めればいい。

今回の震災もあったり、環境破壊もあったりで、エコに関しては随分、企業責任が浸透してきています。
慣れもしないクールビズとか、節電とか、やっている企業が先進的と評価されますし、やってないと企業の在り方が問われます。

ISO14001みたいなの、作ればいいですね。

障害者雇用枠を設定している企業も少なくはないでしょう。
身障者も、知的障害者も、不登校児も、もっともっと表に出て、存在を知らしめて、みんなで議論すればいい。

えらそうなことを言いました。
by Huck_Finn (2011-11-13 22:52) 

evergreen

普通の人が普通に生活できない社会(国)に意味があるのかと思ってしまいます。
普通に仕事をする事だって、十分努力が必要だと思うのですけけれど。

私の業界は、もうモラルがすっかり崩壊して、
早い話、ユーザーを丸め込まないと利益が出ないような世界です。
金融とかもそうですね。

一流の営業マンと詐欺師は紙一重だと思います。
そんな人たちばかりのIT産業なんていうのも少しおかしいし。

社会全体が豊かでないと、弱者が生きていく場所はありません。
まず一般の人が、
普通に就職して結婚して子供を育てられるようにならないと、
障害者を支えてもらえる基盤が無いと思うのです。
by evergreen (2011-11-14 10:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0