稲に花が咲く事を知らない人は、意外に多いようだ。
僕も実際に見るまでは知らなかった。


大学で、またしても弓に全力を注いでしまった僕は、
いざ卒業が決まっても、父を納得させるだけの目標を見出せなかった。
当時、バブルがはじけ、就職は厳しくなっていたが、
その後の氷河期といわれるほどではなく、企業を選ばなければ、就職できたと思う。
しかし、父は納得しなかった。
「お前のような我慢ができない、何の取り柄のない人間が、
事務職で食べて行けるわけが無い。手に職を付けておけ。」

父の言う事務職とは俗にいう総合職の事だ。

それに反論するほどの確信もなかった僕は、
一年で測量士補の資格が取れるというだけで、測量学校に通うことにした。

何で親の言うとおりにするのか、不思議に思うかも知れない。
当時の僕には、高校・大学と好きなことをさせてもらった、
義理というか恩義というか、とにかく、引け目を感じていたのだ。


測量学校は俗に言う専門学校なのだが、
入ってみると、大学(文系)なんか比べ物にならないくらい厳しくて驚いた。

まず、休めない。
大学だと(繰り返すが文系の場合)、
だいたい出席日数の下限が決まっているから、この授業はあと何日休める・・・
なんて計算をしながら・・・単位を落としたわけだが。
専門学校では一日がいいところ、二日休むと補講の可能性。
しかも、毎日のように課題がでるので、そもそも休むと置いていかれる。
実習を休んでしまうと、次回訳が分からない事になる。
課題の提出期限も厳しい。
あまり遅くなると、単位が取れなくなる、それはすなわち、免許がもらえない。

測量科は国家資格の取得ができるため、特にカリキュラムは厳かったらしいが、
工業・土木系の学科はどこもそんなものらしい。

僕の学科は、一年だったため、実にいろいろな経歴の人がいた。
年齢は38から18まで。
多くは、測量会社に入り、免許を取るために入学してきた人たちで、
会社が費用をだして、なかには、給与を貰いながら通う人も多く、真剣さが違う。
次に、実家が測量会社である人。
そして、以外と多いのは実家が調査士である人たち。
調査士は国家試験に受からない限り開業できないが、
測量士を持っていると、測量分野の試験が免除される。
そのため、大学を出た後に、入ってくる人が多く、この人たちは僕と同年代だった。

この一年は、僕の人生でおそらく一番「学問的に」勉強した時期だ。

ご存知の通り、測量の基本は三角関数である。
高校の数学ですら赤点だった僕が、
三角関数や最小二乗法を理解しなければならないのだから、必死になる。

さらに実習。
荒川の河川敷で、基準点測量や水準点測量・地形測量の実習がほぼ毎日行われた。

実際は、これらの実習は、ほとんどの測量会社では役にたたない。
現場で実際に使われるのは、
多角測量(角度と距離で座標を求める)であるし、
現場の水準測量で、水平器付きの標尺を使うこともまずないだろう。

夏休み、この学校恒例の測量合宿が、新潟県の六日町で行われた。
猛暑の中を、
新潟の盆地を基準点を探して歩き回る。
5キロ近い水準測量。
スキー場の平面測量。

疲れがピークに達していた頃だった、
朝早く出発して、歩いていてた道の横にある田んぼで、
稲穂から白い細いものが生えているのに気がついた。
六日町といえば、南魚沼郡、米所だ。

僕が脚を止めると、後ろを歩いていた「最年長の同級生」が稲の花だと教えてくれた。

彼は、国立大学を卒業後、環境調査の会社に入って、国のアセスメントの仕事をしていたらしい。
だが、そのあまりにもいい加減な仕事(はっきりいうと改ざんに近い事が行われていたという)に嫌気がさし、
小さな測量会社に就職して、免許を取るために来ていた。
成績はダントツによかった。
彼には、良く数学を教わっていた。

僕はそのとき、なんだかとてもすがすがしい気分になった事を覚えている。
稲の花には花びらがない。私が見たものは、稲の雄蕊だった。



合宿が終わると、卒業を控えて、課題の仕上げに入る。

冬には、家に帰っても毎日深夜まで、卒業課題の地図を製図をする日々が続いた。

皆が得意な事を教えあう。
脱落者を出すことなく、全員で卒業しよう。
皆そう思っていた。

そして、僕たちのクラスは、一人の脱落者を出すことなく、全員が卒業した。
さすがに、珍しい事だったらしい。

結局、測量は僕の一生の仕事にはならなかった。
だが、この一年の経験は、得がたいものだったと思う。

そして、今なら、父の言っていた事が理解できる。
僕は、平凡でなんの取り柄もない。
だけど一つの会社で勤め上げるほどの忍耐もない。
だから、手に職が必要だったのだと。
技術は自分の努力で取得する事ができるのだ。

たいした技術ではないが、手に職があるおかげで、随分助かった。


あの夏以来、稲の花を見た事はない、だが、夏が来るたびに、あの花を思い出す。