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掛川城 [城巡り]

掛川城
年月日:2016/04/30
見学時間:9:10-10:00
所要時間:50分
入場料:410円 天主、御殿

エコパアリーナの小田和正コンサートを見るために前日夜に掛川入り一泊しました。
宿泊先はドーミーイン
天然温泉、ダブルルームは広くはありませんが、
シモンズベッドで良く眠ることができました。
朝食は、種類の豊富なバイキング、味も悪くありません。
食堂は広くありませんが、テレビで混雑状況がわかります。
二人朝食付きで1万2千円ならお得です。

コンサートまで掛川周辺の城を巡る予定。
朝食後に掛川城に向いました。
宿泊したドーミーインから掛川城大手門までは5分とかかりません。

掛川の町は二車線と歩道を持つ広い道路が碁盤の目に通り、
街中にゴミひとつないような、整然として綺麗な町でした。
ただこの道路は城下町としては不自然で、近代に都市計画された事が伺えます。
実際に掛川城の遺構と言えるような物は少なく、復元整備されているようです。
80年代の本丸周辺写真を見たことがありますが、
コンクリートの階段や新しい石積みががあり、かなりの改変を受けていた事が想像されます。

DSC02421.JPG
復元された大手門
掛川城の中枢に対して逆川の対岸にあり、
絵図だと大手門の南にも逆川から引き込まれた堀が存在します。

DSC02423.JPG
大手門番屋
幕末頃の建物です

今川氏真は、武田信玄の駿河侵攻に耐えきれず、駿府を捨てて掛川城に逃れました。
掛川城を守る朝比奈泰朝は、
遠江制圧をもくろむ徳川家康を相手に半年あまり持ちこたえました。
氏真の舅である北条氏康は、援軍を出し清水付近で武田と対峙しますが戦線は膠着。
信玄が遠江を伺う構えをみせるなか、
徳川・今川・北条で和睦が成立し、掛川城を明け渡した氏真は北条を頼りました。

家康にしてみれば、
泰朝の頑強な抵抗で損害が大きくなれば、
遠江への武田の介入を許す事になりかねず、
武田・北条を牽制しながらの掛川城攻略はなかなか神経を使うものだったでしょう。

その後、掛川周辺は武田・徳川の激戦地となりますが、
信玄は、天竜川を南下し家康の居た浜松城に向ったので掛川城は戦場になりませんでした。
諏訪原城・小山城と取り立て高天神城を落とした勝頼も掛川城までは到達できませんでした。


大手門から天守までは逆川沿いの三の丸跡付近を歩き5分ほど

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復元された本丸四脚門をくぐり本丸に入ります

家康の関東移封後に山内一豊によって拡張され、このとき天守が建てられます。

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一豊の建てた天守は地震により倒壊し、1621年に再建されました。
その絵図をもとに木造復元されています。

天守は本丸より一段高いところにあります。
腰曲輪から見上げた天守曲輪脇の石垣は、見るからに新しい工法で違和感があり残念です。

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重要文化財の三の丸から移築された太鼓櫓

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天守と御殿の入場券は本丸で購入します。

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重要文化財の二の丸御殿

一豊が高知に移ると、徳川譜代大名が短期で交代し、
大田道灌の子孫太田氏が入り七代を数え明治を迎えました。
二の丸御殿は大田氏が藩主の時代に建てられてたものです。

御殿が残るのは二条城・川越城・高知城と掛川城の四か所
二条城は将軍の城、川越城は幕府要職の居城、高知城は24万石の大藩、
いずれもが大規模なのにくらべ掛川は5万石、
他に比べ小規模で質素な御殿です。

DSC02480.JPG
大書院
藩主の謁見の場です


参考資料
静岡の山城ベスト50を歩く サンライズ出版
掛川城パンフレット


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